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    社宅・社員寮が企業戦略として再注目される背景と今後の展望

    近年、企業が従業員向けの社宅・社員寮を福利厚生として再評価する動きが活発化しています。バブル崩壊以降、コスト削減のため縮小が続いてきた社宅制度ですが、人材確保の競争激化や都市部の住宅費高騰を背景に、企業戦略の一環として復活するケースが増えています。本記事では、社宅・寮が再注目される背景と主要な導入事例、企業・従業員それぞれにとってのメリット、再活用の動機(採用力強化、人材定着、コスト最適化など)、そして今後の展望について解説します。社宅・社員寮が再注目される背景

    歴史的な推移: 日本における社宅制度は明治時代に端を発し、終戦後の高度経済成長期には地方からの集団就職者を受け入れるため企業が競って独身寮・社宅を整備しました。最盛期の1990年代初頭には、全国で 205万世帯 が社宅・寮に住んでいたとも言われます。しかし、バブル崩壊後の業績悪化で多くの企業が社宅を手放し、1993年をピークに社宅戸数は減少を続け、2018年には過去最少を記録しました。福利厚生費に占める住宅関連費用も2000年代以降一貫して抑制傾向が続いています。

    再評価の兆し: ところが近年になり社宅・社員寮が再び見直される傾向が顕著です。背景には、少子高齢化による人材確保の難易度上昇、都市部の家賃高騰による若手社員の生活負担増などがあります。実際、「新卒・中途採用が難しくなっている」「都市部の賃貸住宅賃料が上昇している」ことが社宅増加の背景にあると指摘する調査もあります。また、近年の新卒就活生の意識調査では「福利厚生が手厚いこと」が大手企業を選ぶ決め手の第1位になっており、その割合は51.5%にも上ります。給与や仕事内容と同程度に福利厚生を重視する学生も6割を超えており、優秀な人材を惹きつけるには住居支援を含む福利厚生の充実が不可欠になりつつあります。

    こうした環境変化の中、社宅・寮は単なるコストではなく戦略的投資として再注目されています。企業の不動産(CRE)戦略の観点でも、遊休化しがちな社宅資産を有効活用し企業価値向上につなげることが課題とされ、社宅を経営戦略の一環に位置付ける動きが広がっているのです。

    社宅・社員寮の主な導入事例

    近年復活・新設された社宅・寮の事例としては、大手商社の伊藤忠商事が注目に値します。同社は業績悪化に伴い2000年に大規模独身寮を売却して以降、長らく社宅を持ちませんでしたが、2018年3月に18年ぶりとなる独身寮を新設しました。この寮は横浜市の日吉に位置し7階建て・361戸という大規模なものです。各個室にシャワーやミニキッチン・冷蔵庫を備え、共有部にはシェアキッチンやサウナ付き大浴場まで用意される充実ぶりで、プライバシーと快適性に配慮した最新設備となっています。伊藤忠では新入社員は実家通勤可能でも必ず入寮させる方針を採っており、この寮で若手社員同士の交流・研修を深める狙いがあります。従来の窮屈な寮生活のイメージを払拭しつつ、社員の自主性を尊重した運営(門限なし・外泊制限なし等)も特徴です。

    伊藤忠商事はその後も社宅施策を拡充しており、2025年には女性社員向けの新寮を建設して既存の寮を統合、同年4月から新入社員の受け入れを開始しました。このように、従業員の多様なニーズ(例えば女性の働きやすさ)に応じた社宅整備も行われています。

    他にも製造業やIT企業などで社宅復活の動きが報じられています。例えば、地方に工場を持つメーカーが都心から地方への人材誘致策として、工場近隣に新築寮を用意し車がなくても通勤可能な環境を整備するケースがあります。また、不動産各社も企業向け寮建設やリノベーションに注力しており、老朽化した社宅を若手社員好みのデザインに改装する提案などが進んでいます。こうした事例はすべて、「社員の住環境を整えることが企業競争力につながる」という経営判断のもとに実施されている点が共通しています。

    企業側のメリット(社宅・寮を持つ戦略的利点)

    社宅・社員寮を再活用することは、企業側に多くのメリットをもたらします。その主な利点を整理すると以下の通りです。

    • 採用競争力の強化: 前述の通り、住宅支援など福利厚生の充実は有望な人材を惹きつける強力なアピールポイントになります。企業が借上げ社宅制度を導入する例も増えており、多くの大企業がこの制度で従業員満足度向上と採用力アップに役立てています。実際、「住まいに関する福利厚生」は求職者に魅力的に映り、採用時のアピール材料として有効であることが指摘されています。社宅完備を前面に出すことで、他社との差別化を図り優秀な人材を確保しやすくなるでしょう。

    • 人材定着・エンゲージメント向上: 住居負担の軽減による従業員満足度の向上は離職率の低下につながります。社員の生活基盤を支えることで会社への愛着心・安心感が増し、中長期的な定着を促進します。また、同じ寮に暮らすことで部署を超えた社員同士の交流が生まれたり、企業文化の浸透が図れる副次的効果も期待できます。社宅という場を通じて社内コミュニティを醸成し「社員のエンゲージメント(会社へのコミットメント)」を高めることは、ひいては生産性やチームワークの向上にも寄与します。

    • コスト最適化・税制面のメリット: 社宅提供は一見コスト増に思えますが、企業にとって効率的な投資となる場合があります。例えば借上げ社宅制度では、自社保有物件と比べ固定資産税負担が無く管理もアウトソーシングしやすいため、費用や運用面で優位性があります。また、社員に住宅手当として現金を支給するより、社宅として提供した方が税制上の優遇を受けられるケースもあります(社員が負担する家賃相当額が給与扱いされず、一部が非課税扱いになる等)。その結果、会社負担額に対して社員の受け取る便益が大きく、コストパフォーマンスの高い福利厚生と言えます。さらに、自社で遊休化していた社宅物件を再活用すれば、不動産の遊休コスト削減や社宅管理代行サービスの活用による業務効率化も図れます。

    • 企業価値・イメージ向上: 従業員を大切にする社宅施策は、社内外へのメッセージともなります。社宅整備には社員の健康管理や生活支援を経営戦略として実践する経営者の考えが表れるため、それを対外的に発信すれば企業イメージアップにもつながります。また、社宅を防災拠点や緊急時の避難所として機能させるなど社会的に意義ある活用を行えば、CSR(企業の社会的責任)やSDGsの観点からも評価されるでしょう。総じて、社員思いの福利厚生は「従業員満足=顧客満足=企業価値向上」という良循環を生み出す基盤となります。

    従業員側のメリット(社宅・寮がもたらす利点)

    次に、社宅・社員寮が従業員にもたらすメリットを見てみましょう。社員にとっては経済面から生活面まで多くの恩恵があります。

    • 経済的負担の軽減: 社宅や借上げ社宅では、一般の賃貸物件よりも低廉な家賃で住めるのが大きな魅力です。企業が家賃の大部分を負担し、従業員は給与の一部(相場より低い額)を支払うだけで良いため、可処分所得が増え生活にゆとりが生まれます。特に都市部の高騰する家賃相場を考えると、新入社員や若手にとって社宅制度は強力な支援策となります。住居費の心配が軽減すれば、安心して仕事に打ち込めるでしょう。

    • 通勤・生活環境の改善: 社宅や独身寮は職場近くに設けられることが多く、通勤時間の短縮による負担軽減効果があります。通勤ストレスが減り、その分プライベートや休息の時間を確保しやすくなるため、心身の健康維持にもつながります。例えば朝夕の通勤ラッシュを回避できれば疲労感は大きく違いますし、充分な睡眠時間の確保は業務パフォーマンス向上にも寄与します。また、職住近接によって急な呼び出しや残業後の深夜帰宅にも対応しやすく、勤務形態に柔軟性が出る利点もあります。

    • 生活サポートと利便性: 社宅では生活インフラが整った環境が提供されるケースが多くあります。家具・家電付きの物件や、社員寮内の食堂で栄養バランスの取れた食事が低価格で提供される例もあります。これにより自炊の手間や食費負担が減り、忙しい業務との両立がしやすくなります。さらに企業が物件を一括契約している場合、従業員は自分で物件探しや契約手続きをする必要がなく、入居・転居の手続きがスムーズです。転勤時には会社側で住居を準備してくれるため、「住む場所」の不安なく新天地での仕事を開始できます。住環境に煩わされないことで、従業員は本業に集中できるのです。

    • 仲間との交流・精神的支え: 特に独身寮の場合、年代の近い社員が集まって生活することで生まれる仲間意識は見逃せません。地方出身で上京した新入社員にとって、寮の存在は職場外でも相談できる同期や先輩が身近にいる心強さがあります。仕事終わりに談笑したり悩みを共有できるコミュニティは、メンタルヘルスの面でもプラスに働きます。社員同士で勉強会を開いたり自発的なイベント(花見やBBQ大会等)を企画するといった自主性を育む場にもなり得ます。このような社宅での人間関係は社内チームワークの基盤となり、ひいては業務上の連携強化にも寄与します。

    • 安全・安心な住まい: 企業提供の社宅は、立地や建物の安全性にも一定の基準が設けられていることが多く、セキュリティや災害対応の面で安心感があります。管理人常駐の寮であれば防犯上も安心ですし、震災など非常時には社宅住民同士で助け合えるという利点もあります。また、社宅に入っている間は退去時の原状回復費用を会社が負担してくれたりと、住居に関するリスク・コストを会社が負う面もあります。こうしたサポートは、従業員にとって大きな心理的安定剤となるでしょう。

    以上のように、社宅・社員寮の制度は従業員の経済面・生活面・精神面を幅広く支援し、従業員満足度(ES)を高める効果があります。従業員にとって魅力的な福利厚生であると同時に、それが企業へのロイヤルティ向上や優秀な人材の定着にもつながる点で、企業と従業員の双方にメリットをもたらす制度と言えます。

    社宅再活用の主な動機(採用力強化・人材定着・コスト最適化 など)

    では、企業が改めて社宅・社員寮を戦略的に再活用する主な動機を整理します。前述のメリットとも重なりますが、最近の復活事例に共通する企業側の目的を挙げると次の通りです。

    • 採用力の強化: 人材獲得競争が激化する中、優れた福利厚生は他社に対する競争優位になります。特に社宅・住宅補助は若手求職者にとって魅力が大きく、「住まいの心配をしなくていい会社」との印象は応募動機を高めます。新卒学生の半数以上が福利厚生の充実を重視して企業選択している現状で、社宅制度の整備は有望人材を惹きつける強力な武器と位置付けられます。採用難に直面する企業ほど住宅支援に力を入れる傾向があり、結果的に社宅復活の大きな推進要因となっています。

    • 人材の定着・離職率低下: 社宅の提供によって従業員満足度が高まれば離職率の低下に役立つことは多くの企業が認識するところです。特に若手社員は入社後数年で離職しやすい傾向がありますが、会社からの住宅支援があることで「大切にされている」という実感を持ち、長期勤務への意欲につながります。実際、社宅制度等の福利厚生が手厚い企業ほど従業員エンゲージメントが高い傾向が見られます。人材流出を防ぎ人材育成投資のリターンを確保するためにも、社宅再開は有効な戦略となっています。

    • コストの最適化: 一見すると社宅維持はコスト増のようですが、前述の通り税務上・財務上の効率的な施策でもあります。住宅手当を現金で払う場合に比べ、社宅として提供すれば従業員の手取りベースで見た補助効果が高く、コスト対効果が良好です。また、自社所有の遊休社宅を売却せず再活用すれば、不動産市況による安値売却リスクを避けつつ社員福利厚生に充てられます。さらに近年は社宅管理業務を代行する専門サービスも充実しており、煩雑な契約・管理をアウトソーシングすることで人事総務部門の負担を軽減できるため、中小企業でも導入しやすくなっています。総じて、社宅制度の復活は「福利厚生充実とコスト意識」の両立を図る経営判断の産物と言えるでしょう。

    • 社員の健康・働き方改革への対応: 社宅・寮の提供は、従業員の健康管理や働き方改革推進の施策とも結び付いています。通勤時間の短縮はワークライフバランス向上や過労防止に直結しますし、社宅食堂で栄養管理された食事を提供することは健康経営の一環です。シフト勤務者に深夜でも温かい食事を摂らせる、単身赴任者のメンタルヘルスケアを社宅コミュニティで支える、といった形で社宅は社員ケアの施策プラットフォームとなります。コロナ禍以降、在宅勤務や分散勤務が広がる中で社員の健康と繋がりを維持する施策が求められており、その一環として社宅が再評価されている面もあります。

    • CRE戦略・資産活用: バブル期に取得した社有社宅を抱える企業にとって、社宅の再活用は企業不動産戦略上の課題でもあります。売却すれば一時的な収益になりますが、手放した後に人材確保の障壁となる可能性もあるため安易な処分は難しくなっています。そこで、遊休状態だった社宅物件をリノベーションして再度自社社員向けに活用したり、一部を一般賃貸に転用して収益化するなど、柔軟な活用策が模索されています。社宅という「眠れる資産」を戦略的に活かす動機が、昨今の社宅復活トレンドの底流にあります。

    以上のような動機から、多くの企業が社宅・社員寮の価値を再認識し始めています。単なる福利厚生の復活ではなく、「人と不動産の両面から企業価値を高める」施策として社宅を位置付け直す動きが広がっているのです。

    今後の展望:社宅・社員寮は企業戦略の要に?

    社宅・社員寮の再活用トレンドは、今後も継続しさらなる広がりを見せると予想されます。いくつか今後の展望を考えてみましょう。

    • さらなる企業への波及: 大手企業のみならず、中堅・中小企業にも社宅制度復活の波が及ぶ可能性があります。特に地方に拠点を持つ企業や、専門人材の確保に苦慮する企業では、住宅支援を厚くすることが生き残り戦略の鍵となるでしょう。最近では社宅代行サービス会社が中小企業向けに安価なパッケージを提供するなど、規模を問わず導入しやすい環境が整いつつあります。住宅手当を廃止してでも社宅制度を導入する企業も出始めており、人材市場の状況次第では社宅提供が業界標準になる可能性もあります。

    • 社宅の高機能化・多機能化: 従来型の古い独身寮のイメージを刷新し、現代的で付加価値の高い社宅が増えていくでしょう。具体的には、個室のプライバシー確保や充実した共用設備(フィットネスルーム、ワークスペース、カフェテリアなど)の備え付け、高速ネット環境の完備などが標準化する見込みです。居住空間としての質を高めるだけでなく、非常時のバックアップ拠点という役割も意識されるでしょう。例えば社宅内に非常用発電設備や備蓄品を置き、災害時に社員とその家族を受け入れる「安全センター」として機能させる計画を立てる企業も出てきています。また、空室がある場合には短期出張者やインターン生の宿泊所に充てるなど、社宅を柔軟に運用して企業全体の生産性向上に寄与させるアイデアも考えられます。

    • 住宅支援制度の多様化: 全員一律に社有寮へ入居させる方式だけでなく、社員の選択肢を尊重した住宅支援制度が発展するでしょう。例えば、自社で寮を持つ代わりに社員が選んだ民間賃貸物件の家賃を補助する「借上げ社宅」制度は既に多くの企業で採用されています。今後は借上げ社宅と自社寮のハイブリッド型、社員が住宅手当・社宅・リモートワーク手当などを自由に選べるカフェテリアプラン的な仕組みなど、柔軟な制度設計が進む可能性があります。リモートワーク普及後も出社時には滞在できるように、主要都市に社員用シェアハウスを用意する企業も現れるかもしれません。働き方の多様化に合わせて社宅の形も多様化していくと考えられます。

    • 官民連携や制度支援: 労働力確保が社会的課題となる中、国や自治体が企業の社宅整備を後押しする動きも期待されます。たとえば地方創生の観点から、地方移住者を雇用する企業に対して社宅整備補助金を出す、空き家を社宅転用する際の税制優遇を拡充するといった政策が考えられます。実際に地域の空き家対策と企業の人材確保をマッチングさせる取り組みも一部で始まっています。将来的には、公的機関と企業と不動産業者が連携し、地域ぐるみで社宅ネットワークを構築するといったスキームも実現するかもしれません。

    • 労働市場の変化への対応: 新卒一括採用の慣行が見直され中途採用やグローバル人材の雇用が増えるにつれ、社宅のあり方も変化するでしょう。海外からの人材受け入れに際しては社宅を国際交流の場としたり、多様なバックグラウンドの社員が交流できるダイバーシティ推進拠点としての活用も考えられます。逆に、ジョブ型雇用で必要な時に専門人材を採用しプロジェクト単位で働く形が増えれば、恒常的な社宅よりも必要に応じた短期住宅支援が重視される可能性もあります。このように雇用環境の変化に合わせて、企業は社宅制度を柔軟にアップデートしていく必要があるでしょう。

    総じて、社宅・社員寮は「時代遅れの福利厚生」から「戦略的投資」へと価値を転換しつつあります。企業は人材獲得・定着のために住環境整備に真剣に取り組み始めており、不動産の有効活用と組み合わせた創意工夫で社宅制度を進化させています。社宅は企業不動産と人事戦略が交差する領域であり、これからの企業経営において重要なテーマとなるでしょう。今後、企業の「住の福利厚生」がどのように進化していくのか注目されます。社員に選ばれる会社であり続けるために、社宅・社員寮の再活用を含む住宅支援戦略はますます欠かせない要素となっていくに違いありません。

    稲澤大輔

    稲澤大輔

    INA&Associates株式会社 代表取締役。大阪・東京・神奈川を拠点に、不動産売買・賃貸仲介・管理を手掛ける。不動産業界での豊富な経験をもとに、サービスを提供。 「企業の最も重要な資産は人財である」という理念のもと、人財育成を重視。持続可能な企業価値の創造に挑戦し続ける。 【取得資格(合格資格含む)】 宅地建物取引士、行政書士、個人情報保護士、マンション管理士、管理業務主任者、甲種防火管理者、競売不動産取扱主任者、賃貸不動産経営管理士、マンション維持修繕技術者、貸金業務取扱主任者、不動産コンサルティングマスター